うっちー、よく言った!

 

「中学や高校くらいだと練習試合とかで口が悪い選手とかいるじゃないですか。そういう選手はだいたい、いなくなる(大成しない)。中学や高校は真摯にサッカーしたほうがいいです」

 

 

いつも書いてる早く走る方法とか身体操作とは直接関係ないようだが、結局のところ、目の前で起きることは自分の言葉が作ることになる。

 

そしてその作られた世界に関して、必ず責任を取らせられることになる・・・

と、この世の中はそう成っているらしい。

 

つまり文句を言いながらトレーニングしても、ずっと文句を言い続ける人生が着々とできあがるばかり、という世界。

 

競争のある競技者として、大成できるわけがない。

 

いい大人ならいい、自業自得で、自分で責任とってせいぜい苦しむがいい。

 

ただし、子供や、スポーツで言うところの育成世代にこの“愚”をやらせてはならない。

 

そのために指導者がいるのだ。

 

走り方がどうとか、サッカーでサイド攻撃がどうとか、走る負けるな、とか、そんなものの前に、指導者は若い世代に教えなければならない事がある。

 

勘違いするな!ということ。

 

筆者も15年ぐらい前だったか、元ガンバの上野山さんや、現U-16?だったかな森山監督なんかのセミナーでうかがったが、「トップまで昇って来られるのはどんな子?」という質問に対して、

 

森山さんは、表現としては「自責のできる子」ということだった。

 

つまりは、最近の言い方に変換すれば

「(起きたことに対して)ベクトルを自分に向けられる子」

ということだろう。

 

また上野山さんは「PDSAが回っている子」とのこと。

 

Plan(計画)→Do(実行)→Check(評価)→Action(改善)

 

 

たとえば、コーチが悪い、戦術が悪いとか、とか、チームメイトが悪い、とか、審判がダメダメ、とか、そういうことを言っていてはPDCAなんかは絶対に始まらない、回らない。

 

・・・ということを指導者みずからが実践して、子どもたちに伝えなければならない。

 

※「間違ったこと」に対して、きちんと指摘することはとても大切なことです。

が、感情の伴う競技の場面で、「他責」の癖がつくと、人間は未熟なので、そこから離れられなくなって、スター・ウォーズでいうところの“ダークサイド”に落ちていくことになります。

そんな厄介な癖は、自分を制御できる大人になってからでいい、ということです。

(もっとも、その大人が自分を制御できなくなっている・・・いまここジャパン)