以前より、また常々思うことだが、子供のサッカー指導で、よい指導をしたいのなら、必ず審判をやりなさい!という提言です。
以下、ちょっと話が遠回りしつつ結論に向かいます。
かなり遠回りします。。。
ようは言いたいことは、これなんですが・・・
「一度ある人を立派な人だと思ってしまうと、その人が立派なことをしている場面にだけ注意が向けられる。反対に別の人をダメなやつだと思うと、その人がダメなことをしている場面に注意が向けられがちになる。」(鈴木宏昭『認知バイアス 心に潜むふしぎな働き』講談社、P87) pic.twitter.com/6roooLVACx
— 本ノ猪 (@honnoinosisi555) August 12, 2022
さて、子供は欠点弱点があったとして、それを指摘したところでなかなか直りはしません。
かなり技術的な面と、動作の面、たとえばスローモーションぐらいに分解して、一歩一歩の場面で説明する、というように、かなりかみ砕かなければ伝わりません。
で、相反するようなことを言いますが、結果、言葉で説明しても理解力がまだ成長していないので理解ができず伝わりません。
楽しい練習方法を編み出して、楽しくキャッキャ遊ぶように運動させて自然と身につくようにしてやらないと、こっちのほうが楽しい、とか楽で楽しい、と体感できないと、なかなか変われないのです。
と、伝え方のことを書きましたが・・・
実はそれ以前で留まってしまっている親子とか、コーチと選手、の関係がとても多いのでは?と想像しています。
上の本の猪さんのツイートで言えば、【「おまえはダメ」バイアス】がかかったままでの人間関係が確立してしまってはいないか?という疑念です。
ひとつの欠点弱点があったとして、親御さんやコーチは、いつも同じ部分を指摘します。
親御さん、コーチ
「ああ、またやった」
「前にもいったろ?」
「なんで直そうとしないの?」
「今度やったらもう試合に出さないぞ」
となります。
上で書いた通り、子供は、その欠点弱点を自分では簡単に直せないのです。
そして親御さん、コーチは「おまえはダメ!」というメッセージは送れていますが、適切なソリューション(解決方法)が提供できていません。
親御さん、コーチ
「おまえはダメなやつだな~」
↓↑
子供
「ボクってダメみたい」
というコミュニケーションが成立してしまいます。
そして、悪い方にバイアスがかかって加速します。
試合とかで別のミスをしてしまう。
親御さん、コーチ
「ちゃんとやれよ~(こっちもダメか、マイナス1点・・・ため息)」
↓↑
子供
「ボクって、ますますダメみたい」
いや、技術の問題、動作の問題はどこに行ったの?
という状況に陥ってしまうわけです。
子供は「また叱られることのないように」という意識に支配され、プレーで冒険しなくなります。
というか叱られる(自分を否定される)のが怖くて、なんやかんや理由をつけてサッカーに行かなくなったりします。
こうなると、もう終わりです。
で・・・なぜ「審判やれ」なのか?
はあ、だいぶ遠回り。
話が回りくどいですね、笑
子供の弱点や欠点というものは、実は大概は共通して起こってくるものです。
たとえば、利き足や体型(太り気味とか)で、似たような動作をします。
どのチームにもいるエースの選手なども観察すると面白いですよ。
追い込まれるとどんなプレーをするか?強引にいくのか?コーチの指示をどう反映させるのか?最後まで挨拶とかできるか?とか
じつは審判という“客観的”な立場にいないと、そこまで分解して客観的には見られないんですね。
別に俺はいろんなチームの試合を見ているよ、という大人もいると思いますが、よ~ぽど好きな人以外は集中力が続きません。そんなもんです、人間は。
なので審判という責任を伴った場に自分を追い込む必要があるんですね。
追い込む?
俺はあんたに追い込まれるいわれはない!と思うと思います。
ただ、あなたは子供の育成に関わるという責任と名誉を与えられているわけです。
その立場を全うするために、ぜひ審判という場を利用していただきたいのです。
大切なことは、親御さんやコーチが
「おまえ(とある個人)はこういうプレーが出来ない」
と評論家のように指摘できることが重要なのではなく
「ああ、こういう子は、こういうプレーをしがちだ」
というサンプル数をどれだけ持てているか?
ということが重要なのです。
大きなクラブならば、その範囲で“サンプル”への接触をたくさん経験することもあるかもしれませんが子供のクラブは小学校単位のところも多いので、なかなか同じような“サンプル”に出会える可能性は減ってしまいます。
審判を経験するとわかると思いますが、まったく知らない他所のクラブの大勢の子たちの一挙手一投足の“純粋なプレー”を凝視することになります。
たぶん何試合か審判を経験する中で、けっこう「ハッ」とさせられる場面にでくわすことがあるかもしれません。
要は
「ああ、子供ってこうなんだ!」
みたいな、至ってシンプルなことが実感されたりします。
何を言っても「ああ、こどもは、こどもなんだ」という。
統計処理の考え方ということになりますが、審判をして他クラブの子どもたちを観察できることで、たとえば、
「これはウチのクラブだけの問題か?」
「これはこの年代特有の問題か?」
「これは練習が多いクラブに特有の現象か?」
「これは決して●●君の固有課題ではない、のではないか?」
というような視点が持てるようになります。
たとえば●利きの選手がサイドの追い込まれた場合、だれもが同じ動きをするんだな、ウチの子だけが出来ないわけじゃないんだ、といった当たり前の理解が得られます。
そして、問題を客観的に把握できることによって初めてその問題点の解決方法が編み出されるわけです。
あるいは、別に直さなくてもいいよね、ポジション変えてやればいい、みたいな単純な話かもしれません。
Jリーガーのプロでもオールラウンドで何でもできる選手なんて、まず居ないわけです。
中学校に入ってから直してもいいよね、という問題もあったりします。
ということで・・・
かなりごちゃごちゃ書きましたが。
よくお父さんコーチで審判はやりたがらないけど、ベンチで吠えたいタイプの方がいます。
こういうコーチが、審判でミスジャッジして野次られたりします。
はい、以降とても謙虚になる場合もありますね(こういう人は伸びます)・・・子供にもクラブ運営にも大会運営とかにも謙虚になるかもしれませんね。
一方で、ケッ俺のジャッジが気に入らねぇのか!みたいなお父さんは・・・立場がなくてだんだん自然消滅します。
あるいは「こんなチンケなクラブにウチの子預けられるか」みたいな捨て台詞を吐いて子供を強豪クラブに移籍させたりします。
おかげでトラブルメーカーも減らせることになります。
審判うんぬん書きましたが、要は
キッズファーストでいられるか?
プレイヤーファーストでいられるか?
という話なわけです。
親御さんもコーチも、サッカー指導の現場はご自身も成長できる機会、ということです。
子どもたちに「育ててくれてありがとう!」と言えるか?
そのためには、いかに自分自身を学びの多い客観的な状況におき続けられるか、という話でした。